XとYouTubeの限界と危険性を感じたので、その見解を記事にします。
両方とも利用者が増加した結果、さまざまな思想、価値観を持った人が自由にアクセスできるようになっています。ある意味自由で、世相を反映しているように見えますが、現状ではそうは言えないのと、そのような利用形態にはなっていません。
専門家や研究者、ジャーナリストの投稿に反応しているのは、どちらかというと無知だったり批判をしたい人か、賛同する人になっていて活発で建設的なやり取りがある、保証されるシーンはあまり見かけられないように思います。
同調か炎上かという過激な意見が大きく議論が生まれないフォーマットになっているのが限界を感じるところではあります。出来ないことはないけど、そのような利用に寄与していないのは事実です。
また利用者が増えたと言っても、あくまで社会の中では少数派であろうと考えられ、必ずしも世相を反映しているとは思えないのが課題ではなかろうかと思います。
危険なのもそれにあり、たかだか数十人のやり取りが、さも大きなように見えるときがあります。数千人でも全体から見れば少数なのに、社会を席捲しているように勘違いしているのです。
社会の圧倒的大多数は、そのようなものとは断絶しているという現実を考えていかなければ、バランス感覚を失い、とても狭い範囲の世界に没入してしまうのが危険であろうし、既にそういうようなことになっている人達にいます。
なのでブログも、一時期は必要性の有無を問われていましたが、存在する価値はあるんじゃないかなと思いました。